トランプ大統領来日の件

トランプ大統領が来日しています。

 

相撲観戦したところをテレビで見ていましたが、面白かったですね。仏頂面で観戦しているところとか、頑張ってトロフィーを持ち上げていたところとか、片手で表彰状渡したところとか。

 

陛下にも謁見していましたが、トランプ大統領でも、しおらしい感じになっていました。前のオバマ大統領のときもそうでしたが。天皇の存在は、国内では国民統合の象徴ということになっていますが、外国首脳からみれば、国家元首なわけで、こういう場面で、天皇という存在の威力を感じます。

 

アメリカはジャイアン的なところは確かにありますが、周りを見渡せば、最もマシなジャイアンだと思います。1国の力で周りの国と渡り合うのが難しい以上は、最もマシなジャイアンと仲良くやっていくしかないでしょう。

アベンジャーズ・エンドゲームを見て

アベンジャーズ・エンドゲームを見ました。

 

とにかくよくできています。見終わってから、何度も反芻していますが、そのたびに感慨にふけっています。

 

トニースタークがすごいのはもちろん、キャプテンも最高です。

見終わって思ったのは、この作品は人類の福祉だということ、アメリカはすげーということです。

 

50年前は、黒沢映画をみて、アメリカは西部劇とか、スターウォーズとか作ったわけですが、もはや完全に置いて行かれました。どう転んでも、あのレベルのものを作ることは、日本ではできません。

 

ここ数年ですが、テレビ番組を初めてとして、非常に内向きであると感じます。外国人を連れてきて、日本すげーを言わせるという番組がとにかく多い。ほとんど見たことはありませんが、チャンネルを回すとそういうのがでてきます。

 

いわゆるネトウヨといわれる人たちはもちろんのこと、左翼界隈も、日本すげーがその思考の根底にあるようです。9条平和憲法で世界をリードする的な思考のことです。

 

このような内向きは、謙虚に他から学ぶ姿勢を阻害します。

エンドゲームを見て、現代においては、やはりアメリカという国が人類の福祉・発展に最も貢献しており、それはしばらく続くのだろうと思わざるを得ませんでした。

 

岡崎支部無罪判決を読んで

岡崎支部の無罪判決を読みました。

 

判決で認定された事実によれば、父親はどうしようもない最悪の親でした。しかし、抗拒不能を認定しなかった裁判所は、非常に冷静に、罪刑法定主義と疑わしきは被告人の利益に、を貫いたと思います。判決を読んで、無罪判決は不当だと断定できる法律家は少ないのではないでしょうか。

 

弁護人には頭が下がります。

被告人の父親は、判決では信用性を否定されていますが、被害者にも同意があったと主張するなど、なかなかな人です。僕なら、こんな酷い人間は、、と思い弁護活動はおろそかになったかもしれません。

こういう弁護活動に接すると、自分が果たして刑事弁護事件をやっていていいのだろうかと悩みます。

 

罪刑法定主義や疑わしきは被告人の利益にという刑事裁判の原則は、法律を知らない一般の人の感覚と乖離することがあります。しかし、刑事裁判の諸原則は、人類の叡智であり、守り抜かねばならない。それは、法律家である自分自身にも、絶えず言い聞かせていかなければならないと改めて思いました。

 

皇位継承の勉強

このたびの陛下の即位に際して、皇位継承について調べておこう。

 

まずは戦前の帝国憲法下から。

2条「皇位皇室典範の定むるところにより皇男子孫之を継承す」

ここから導かれるのは、①世襲主義、②男系主義、③法定主義、④皇室自律主義。皇位継承天皇の意思とか臣下の権力者の意思とかで決めるんじゃなくて法律で決めましょうと、ただ、男系世襲主義は絶対ですということです。もっとも、その法律は議会の干渉を受けずに定めます(74条1項「皇室典範の改正は帝国議会の議を経るを要せず」)

 

男系主義については近年女性天皇の議論があるところです。

歴史的に女性天皇は存在しますが、女系は存在しません。女系とは、現在でいえば、愛子内親王殿下の子供が天皇になることです。つまり、歴史の前例からすれば、中継ぎ的に愛子内親王殿下が天皇として即位することはあっても、次の天皇は、男系子孫に戻るということになります。

もっとも、戦前の皇室典範は、「男系の男子」とし、現在の皇室典範も「男系の男子」としており、これは、過去の女性天皇の存在はあくまで例外的なものであり、今後の原則にすべきではない(から禁止する)という発想に基づいています。

 

女性天皇について議論する場合は、女系まで認める趣旨なのかどうかがポイントになります。女系を認めないのであれば、歴史的前例の範囲内なので、許容する余地があるのかもしれません。しかしながら、女系を認めるとすれば、日本の歴史始まって以来の変革をもたらすことになりますので、それ、男女平等みたいな近年出てきた価値観に基づくだけで、簡単にやっちゃっていいんですか、と思います。

日本の歴史を見れば、社会の価値観はいろいろに変わり、社会は少しづつ発展してきましたが、その中でも(戦争に負けても!)変えてこなかったものを今変えるのかあという怖さがあります。どうも、人類の発展はヨーロッパ市民革命以後から始まったように考えている人が多いようで、そういう人は、それ以前の歴史に対する尊重はなく、そんなものは過去の遺物なのかもしれません。

 

僕は、過去の遺物は捨ててしまおう、という考え方に抵抗があって、というのも、先の世界大戦は、進歩的思想に基づくナチや日本が、旧社会の遺物たる英米に敗れたものと位置付けられるからです。当時の書かれたものを読むと、だいたいナチやソ連を進歩的思想に基づく国家体制と位置づけて褒め、英米を旧社会の遺物としてこき下ろすものが多いです。だからこそ、日本はソ連と中立条約を結び、ナチと同盟を結んだわけです。

結局、進歩側は敗れ、大量の人間を殺して国土はめちゃくちゃになり、他方で、過去の遺物を保持する側の方が、国民の権利を尊重し、国を守ったという歴史的事実があり、この事実から目を背けることができません。

 

話を戻すと、今回の皇位継承について、最も疑問だったのが、なぜ歴史上の言葉である「譲位」ではなく、「退位」特例法としたのかということでした。

読売新聞の5月1日付の解説によれば、天皇の意思による譲位は、日本国憲法4条「天皇は、この憲法に定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。」に抵触するおそれがあるためとされていました。

しかし、上にみたように、皇位継承の法律主義(皇位継承は、皇室典範に基づいて行い、天皇の意思に基づいて行わない。)というのが明確に導入されたのは、大日本帝国憲法下からですので、日本国憲法の4条抵触を問題にするのは、間違いではないですが、正確とはいえないのかもしれません。

 

一方、今回の皇位継承について、国民主権下であるから、天皇の意思を排除したんだという解説も見られましたが、歴史的にみれば、これは誤りということになります。

いうまでもなく、大日本帝国憲法は、国民主権ではありませんが、既に皇位継承の法律主義を導入しています。

 

 

上級国民と逮捕

 今月21日に、神戸市営バスが横断歩道に突っ込んで2人が死亡した事故では、運転手が現行犯逮捕されましたが、他方で、池袋で、暴走して母子2人が死亡した事故では、元官僚の運転手は逮捕されず、容疑者とも呼称されていない等として、上級国民だからかという批判も上がっているようですね。

https://www.j-cast.com/2019/04/22355961.html?p=all

 

 この記事でも解説されていますが、逮捕は刑罰ではありませんし、そもそも被疑者を「取り調べる必要がある」というのも逮捕の理由にはなりません(捜査実務上は、取り調べの必要を考慮しているのですが、法律の要件にはありません。)。

「裁判官は、被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があると認めるときは、検察官又は司法警察員の請求により、前項の逮捕状を発する。但し、明らかに逮捕の必要がないと認めるときは、この限りでない。」(刑事訴訟法199条2項)

「逮捕状の請求を受けた裁判官は、逮捕の理由があると認める場合においても、被疑者の年齢及び境遇並びに犯罪の軽重及び態様その他諸般の事情に照らし、被疑者が逃亡する虞がなく、かつ、罪証を隠滅する虞がない場合等明らかに逮捕の必要がないと認めるときは、逮捕状を却下しなければならない。」(刑事訴訟規則143条の3)

 

 本来、この法律の規定どおりに適切に運用されていれば、逮捕される人はもっと減るはずなのですが、実際は逮捕状を請求する側も、裁判官も、法律の規定に従った運用を行っていないので、逮捕の必要がない場合でも結構逮捕されます。裁判官は、あまりにそのまま逮捕状を出すので、自動販売機とも揶揄されています。

 

 そうすると、本来の怒りは、なぜ神戸市バスの運転手に逮捕の必要があったのか?池袋と何が違うんだ!だと思うのですが、多くの人の気持ちは逆に向かうようです。よく思うのですが、差別とか平等を軸にするものごとのとらえ方は、悪い方へ引きずり降ろす作用を生みますね。池袋の方を上級国民だから逮捕されないのか、差別だ、といって怒っている人は、我々の人身の自由がより侵害される方向へ平等を目指しています。頑張って下さい。

 

    ニュース見てると、大衆の怒りは裁判を待てないというのがよくわかります。裁判なんか待ってられない、殺したんだから殺せが本音でしょう。

 

    人類は、そういうのをやめて、推定無罪の原則、すなわち裁判で有罪判決を受けるまでは刑罰を受けないという制度を作ってきました。しかし他方で、こういう人類の叡智を平気で投げ捨てることも人類の歴史上たくさん見られました。特に20世紀。現代の日本は後者側なんだろうなと思います。悲しいです。

 

 

不同意性交は処罰化できるのか

不同意性交を処罰化するという案も出ているようです。

これについては、論文を読んだこともないし、よく検討したことはないのですが、率直な感想をいうと難しいのではないかと思っています。

傷害とか窃盗は、通常は被害者は不同意という話になるので、「被害者の承諾があると思った」なんてことは通常はありません。そのため、故意の立証は比較的容易な反面、被告側の主張が認められる可能性は低い。

けれども、性交それ自体は、善とも悪ともいえず、通常は不同意だろうなどという推定はできません。なので、「暴行脅迫」などの意思への強い働きかけをしたものに限定して処罰しています。

不同意性交が罪だとすると、不同意であるかどうか書面をとるわけにはいかないので(要書面という案もあるのかもしれませんが)、結局は客観的な状況から考えるしかない。状況判断をミスすると、不同意性交で処罰される危険があります。慎重に行動する人は、そもそも性交しないという選択をせざるを得ない。

もうそれなら、例えば婚前交渉禁止としないと整合しないでしょうね。相手が婚前であれば、推定的不同意なので、傷害や窃盗と似たように考えることができるのかもしれません。

性犯罪の無罪判決に関する記事について

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190422-00010001-nishinpc-soci&p=2

西日本新聞の記事です。看過できないことが書いてあります。

甲南大法科大学院園田寿教授(刑法)は「今の刑事司法の枠組みでも故意の有無を丁寧に吟味することで、より世間の感覚に近い判決にすることは可能だ。同意があったと主張するなら、そう信じた根拠・相当の理由を具体的行動などから被告人側が証明すべきだ」と話す。

 刑法の教授が言っています。

刑事裁判は、「疑わしきは被告人の利益に」であり、犯罪の立証責任は検察官にあるというのは刑事裁判の大原則です。

それを、性犯罪については、同意があると信じた根拠を被告人に証明責任を転換するんだそうです。世間に受けがよければ、何を言っても良いと思ってるんでしょうか。

もしかしたら、新聞記者が適当に発言を切り取ってしまったのかもしれないとも一応考えました。それで検索してみたら、この記事が出てきた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/sonodahisashi/20190320-00118874/

その上で、被害者が同意の存在を否定するならば、同意があったとの行為者の主張が客観的に納得できるかどうか、つまりその誤信に合理的な根拠があるのかどうかが吟味されなければなりません。このような考え方は決して新しいものではなく、すでに最高裁(昭和44年6月25日判決)名誉毀損罪で採用している考え方なのです(たとえば、ある政治家がワイロをもらっていると信じて報道し、それが結果的に誤報だったならば当然名誉毀損が問題になるのですが、最高裁は、確実な資料・根拠に照らして誤信したことに相当の理由があれば、名誉毀損の故意がなくなり無罪となるとしています)。

 名誉毀損罪の判例と同様に考えることが可能なんだそうです。

これは悪質ですね。名誉毀損罪における真実性の証明は、例外的に被告人に立証責任が転換されています。その規定を前提とした名誉毀損罪の認識面(故意の成否)の話なので、一般の犯罪に適用できないことは明らかです。

このような記事で、法に無知な一般の人を煽っているわけです。学者だか扇動家だか分からないです。